生きた時代と背景
1590年ごろ、平戸の籠手田にキリスト者家庭の子として生まれたと教皇庁資料は伝えます。両親も迫害のなかで命を落としました。長崎のイエズス会学校で学びましたが、1614年の宣教師追放によって国外へ出ます。日本の教会が外国人宣教師だけで成り立っていたのではなく、教育を受け、共同体を担おうとした日本人信徒がいたことを示す生涯です。
聖人を知る・9月28日
長崎で学び、マニラで司祭となった日本人ドミニコ会士です。禁教下の日本へ戻り、潜伏しながら信徒共同体に仕えました。
祈りと言葉
国外で養成を受け、危険の続く故郷へ戻って信徒共同体に仕えた日本人司祭です。
まず、ここから
全4編
1590年ごろ、平戸の籠手田にキリスト者家庭の子として生まれたと教皇庁資料は伝えます。両親も迫害のなかで命を落としました。長崎のイエズス会学校で学びましたが、1614年の宣教師追放によって国外へ出ます。日本の教会が外国人宣教師だけで成り立っていたのではなく、教育を受け、共同体を担おうとした日本人信徒がいたことを示す生涯です。
マニラで神学を学び、ドミニコ会へ入り、司祭に叙階されました。台湾で宣教した後、迫害が続く日本へ戻ります。帰国は危険を知らない衝動ではなく、自国の信徒に秘跡と司牧を届けたいという選択でした。約五年間、潜伏しながら各地の共同体を訪ねたとされます。活動の細部は限られた列聖資料に依存するため、旅程や成果を資料以上に補いません。
1634年に逮捕され、長崎で棄教を迫られました。同年十一月、拷問の末に四十四歳で亡くなったと伝えられます。処刑を残酷さの見せ物として描かず、国家が宗教的帰属を犯罪化し、人の身体を使って良心を変えようとした加害として記します。彼の証しは死そのものを求めたことではなく、恐怖のなかでも司祭として共同体との連帯を手放さなかった点にあります。
ロレンソ・ルイスと十五人の同志に含まれ、1981年に列福、1987年に列聖されました。同じ集団には一般信徒や女性もおり、トマス西だけを中心人物として扱うべきではありません。一方で、日本人が国外で養成を受け、日本へ戻って司牧した事実は、初期日本教会の主体性を理解する手がかりです。宣教を外国からの一方通行としてではなく、国境を越えた共同の働きとして伝えます。
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最終更新日:
Holy See — Lorenzo Ruiz and Companions: Biography
Holy See — Canonization of Lorenzo Ruiz and Companions
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