Saint & spirituality
聖トマス・モアとは
法律家、家庭人、人文主義者、国王の大法官として働き、王権と教会をめぐる誓約を拒んで処刑された一般信徒です。
この人物は誰か
法律家、家庭人、人文主義者、国王の大法官として働き、王権と教会をめぐる誓約を拒んで処刑された一般信徒です。
生きた時代と背景
1478年ロンドンに生まれ、オックスフォードと法学院で学び、法律家、議員、裁判官として働きました。古典語を学ぶ人文主義者で、『ユートピア』などを著しました。ジェーン・コルトと結婚して四人の子を育て、死別後は娘を持つ未亡人アリス・ミドルトンと再婚しました。娘にも息子と同じ水準の教育を与え、家庭を学びと祈りの場にしました。
人生の転機
国王ヘンリー八世に仕え、1529年に大法官となりました。当時の宗教対立のなかで、モア自身も異端とされた人々への捜査や抑圧に関与し、その責任は現代の歴史研究で批判的に検討されています。後の殉教だけで公職時代の強制政策を消すことも、逆に一面だけで全生涯を決めることもせず、権力を持った人物への説明責任を保ちます。
主な活動
国王がイングランドの教会に対する至上権を求めると、大法官を辞任しました。王位継承に関する誓約を拒み、ロンドン塔で十五か月拘禁された後、1535年7月6日に処刑されました。信念を持つことと、他者の良心や安全を尊重することは両立しなければなりません。彼の死を国家と宗教の単純な善悪劇にせず、法、権力、沈黙、誓約の重さを考える資料とします。
信仰上の特徴
家庭と学問を大切にした公職者であり、良心のため権力に抵抗した一方、自身の権力行使も検証されるべき複雑な人物です。
教会史上の意味と後世への影響
1935年に列聖され、2000年に政治家と公職者の保護者とされました。6月22日にジョン・フィッシャーとともに記念されます。家庭生活、知的探求、公務、良心の葛藤を切り離さずに生きた一般信徒です。今日その姿を参照するなら、政治的立場の正当化に名前を借りるのではなく、弱い立場の人を守る法、権力行使の検証、自分自身の過ちも含む歴史への誠実さが必要です。
年表
- — 誕生
- — 死去
ゆかりの場所
- ロンドン(イングランド)
守護
政治家・公職者
参照資料
人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。
Holy See — Apostolic Letter proclaiming Thomas More Patron of Statesmen ↗