生きた時代と背景
1600年ごろ大村に生まれ、信徒であった両親レオとクララも後に殉教したと伝えられます。幼くして有馬のセミナリオで学び、イエズス会の同宿となりましたが、1614年の宣教師追放でマカオへ送られました。日本人信徒が学び、教会を担う道を国家政策によって断たれた時代です。国外での養成を外国化と見なさず、帰国を願い続けた本人の選択を中心に置きます。
聖人を知る・7月1日
国外追放後に司祭となって日本へ戻り、長崎周辺で潜伏しながら信徒を支え、江戸幕府の迫害で殺害された福者です。
祈りと言葉
追放先で司祭となり、自ら帰国を選び、迫害下で孤立する信徒を支えた日本人アウグスチノ会司祭です。
まず、ここから
全4編
1600年ごろ大村に生まれ、信徒であった両親レオとクララも後に殉教したと伝えられます。幼くして有馬のセミナリオで学び、イエズス会の同宿となりましたが、1614年の宣教師追放でマカオへ送られました。日本人信徒が学び、教会を担う道を国家政策によって断たれた時代です。国外での養成を外国化と見なさず、帰国を願い続けた本人の選択を中心に置きます。
1622年にマニラで聖アウグスチノ会へ入り、1628年にセブで司祭に叙階されました。フィリピンで活動した後、迫害下の日本へ戻る方法を探り、1631年、侍に変装して帰国します。長崎周辺で潜伏し、牢にいる信徒を訪ね、秘跡を授けました。『金鍔』の呼び名や神出鬼没の伝説だけでなく、危険のなかで孤立する共同体へ継続的に関わった司祭です。
1636年11月に捕らえられ、援助者の名を明かすよう長期の拷問と取り調べを受けました。1637年11月6日、西坂で殺害され、三十七歳ほどでした。残酷な方法を信仰の見せ場にせず、信仰、移動、結社を禁じ、支援者まで処罰した幕府の制度的迫害を明記します。また秘密を守った行動を、現代の虐待や犯罪を隠す沈黙と混同してはなりません。
2008年、ペトロ岐部と百八十七殉教者の一人として列福されました。列聖者ではないため、データ上も福者として区別し、共同記念日の7月1日を登録しています。洞穴や変装の逸話は入口になりますが、彼を冒険物語の主人公にしません。国外で教育を受けた日本人司祭が、自分の判断で帰国し、地域の信徒と支援者に仕えた主体的な生涯として伝えます。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
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日本
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