Saint & spirituality

福者ユスト高山右近とは

戦国大名として権力を持ちながら、棄教命令に従わず領地と地位を失い、最後はマニラへ追放された日本の一般信徒です。2017年に列福されました。

この人物は誰か

戦国大名として権力を持ちながら、棄教命令に従わず領地と地位を失い、最後はマニラへ追放された日本の一般信徒です。2017年に列福されました。

生きた時代と背景

1552年ごろ、摂津国高山に生まれ、父ダリオ飛騨守とともに少年期に洗礼を受け、ユストの洗礼名を得ました。戦国時代の武将・大名として高槻、明石などを治め、教会の建設や宣教師の活動を保護しました。一方、領主として軍事行動と身分制のなかにいた人物であり、後世の「平和の人」という像だけで権力行使の歴史を消すことはできません。

人生の転機

1587年、豊臣秀吉が宣教師追放令を出し、棄教を命じると、右近は信仰を捨てず領地と地位を失いました。その後は小西行長や前田利家のもとで暮らし、茶の湯でも知られました。領民すべてが同じ選択を自由にできたわけではなく、領主による改宗奨励を現代の信教の自由と同一視しません。それでも、権力を保持するため良心を売らないという本人の決断は明確です。

主な活動

1614年、徳川幕府の禁教令により家族や仲間とともに国外追放となり、長崎からマニラへ渡りました。スペイン側は歓迎し軍事支援も提案しましたが、日本への武力遠征を望まなかったと伝えられます。長い航海と急激な環境変化で衰弱し、1615年2月3日にマニラで亡くなりました。処刑されたのではなく、信仰のための追放が死を早めた殉教として認定されました。

信仰上の特徴

権力を持つ領主であった複雑さを抱えながら、棄教と引き換えの地位を拒み、追放を受けた日本の一般信徒です。

教会史上の意味と後世への影響

2017年2月7日、大阪で列福されました。現時点では聖人ではないため、表示も「福者」とします。地域の典礼日を一般暦の日付として推測せず、記念日は未設定です。右近だけを日本のキリスト教史の代表にせず、名も残らない一般信徒、女性、農民、国外追放者とともに記憶します。地位を失う選択と同時に、領主であったことの複雑さを保つ人物伝です。

年表

  1. 誕生
  2. 死去

ゆかりの場所

  • 摂津国高山(日本/フィリピン)

守護

確認できる資料を精査中です。推測では掲載しません。

参照資料

人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。

Holy See — Audience following the Beatification of Takayama Ukon

Acta Apostolicae Sedis — Beatification of Justo Takayama Ukon