生きた時代と背景
347年ごろ、ダルマチアとパンノニアの境にあったストリドンのキリスト者家庭に生まれました。ローマで文法、修辞学、古典文学を学び、366年ごろ洗礼を受けます。アクイレイアの信仰者の集まりに加わった後、東方へ旅し、シリアのカルキス砂漠で隠修生活を送りながらギリシア語とヘブライ語を学びました。学びは名声のためではなく、聖書をより深く理解する道へ変えられていきました。
聖人を知る・9月30日
聖書の原語を学び、ラテン語訳と注解に生涯を注いだ教父・教会博士です。学問を祈りと具体的な生活から切り離しませんでした。
祈りと言葉
言語を学ぶ労苦を惜しまず、聖書を正確に理解する知性と、それを生活で実践する責任を結びつけた人物です。
まず、ここから
全4編
347年ごろ、ダルマチアとパンノニアの境にあったストリドンのキリスト者家庭に生まれました。ローマで文法、修辞学、古典文学を学び、366年ごろ洗礼を受けます。アクイレイアの信仰者の集まりに加わった後、東方へ旅し、シリアのカルキス砂漠で隠修生活を送りながらギリシア語とヘブライ語を学びました。学びは名声のためではなく、聖書をより深く理解する道へ変えられていきました。
アンティオキアで司祭に叙階され、コンスタンティノープルではナジアンズのグレゴリオの講話に接しました。382年からローマで教皇ダマソ一世を助け、福音書の古いラテン語訳を原文と照合します。ローマでは聖書を学ぶ女性たちの共同体も指導しました。ダマソの死後はベツレヘムへ移り、修道院と巡礼者の宿を整え、そこで研究と執筆を続けます。
ヘブライ語本文から旧約聖書をラテン語へ訳す大事業に取り組み、後にウルガタと呼ばれる伝統の重要な基礎を築きました。翻訳だけでなく、聖書注解、書簡、伝記、論争的著作も数多く残します。彼は聖書を知ることをキリストを知ることと結びつけ、読むだけでなく、祈り、隣人愛、日々の選択において生きることを求めました。420年、ベツレヘムで亡くなりました。
ヒエロニモは鋭い知性と並んで、激しい気性や厳しい論争でも知られます。聖人を欠点のない人物に整えるのではなく、学識と限界の両方を見つめることが大切です。また「ウルガタを一人で完成した」と単純化せず、複数の聖書文書、改訂、後代の伝承を含む長い形成過程のなかで彼の仕事を位置づけます。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
聖書翻訳の功績と激しい論争的文体の双方を見て、学識ある人物を無批判に理想化しません。
物語の舞台
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最終更新日:
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