生きた時代と背景
1901年、トリノの新聞経営者・外交官の家庭に生まれました。家族の社会的地位とは対照的に、学業では苦労することもありましたが、工科大学で鉱山工学を学び、労働者の環境改善に役立ちたいと考えました。登山、スキー、友人との冗談を楽しみ、信仰を日常から切り離さない青年でした。家庭内には信仰や進路をめぐる緊張もあり、順調な成功物語ではありません。
聖人を知る・7月4日
大学で学び、登山を楽しみながら、貧しい家庭を訪問し、民主的な社会参加を続けたトリノの一般信徒です。2025年に列聖されました。
祈りと言葉
友情と登山を楽しむ学生生活のなかで、困窮する人への訪問と社会正義への参加を継続した一般信徒です。
まず、ここから
全4編
1901年、トリノの新聞経営者・外交官の家庭に生まれました。家族の社会的地位とは対照的に、学業では苦労することもありましたが、工科大学で鉱山工学を学び、労働者の環境改善に役立ちたいと考えました。登山、スキー、友人との冗談を楽しみ、信仰を日常から切り離さない青年でした。家庭内には信仰や進路をめぐる緊張もあり、順調な成功物語ではありません。
聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会などで貧しい家庭を訪問し、食料、薬、衣類を届けました。カトリック・アクション、大学生連盟、ドミニコ会第三会にも参加し、ファシズムと政治的暴力に反対しました。慈善を困窮の原因から切り離さず、労働者の権利と民主的参加を考えた点が重要です。ただし支援を受けた人を、彼の徳を示す背景として匿名化しすぎない注意も必要です。
1925年、急性灰白髄炎により二十四歳で亡くなりました。家族が祖母の看取りに集中するなか、自身の重い症状を十分に伝えられず、最期まで訪問先の薬の手配を頼んだと伝えられます。葬儀には家族が知らなかった多くの市民が集まりました。死を自己犠牲の競争にはせず、長く続けた関係が共同体に記憶されたことを中心に据えます。
1990年に列福され、2025年9月7日にカルロ・アクティスとともに列聖されました。二人を「昔と今の若者」という広告的な対比だけでまとめず、フラッサティ固有の社会参加、反ファシズム、友情を伝えます。信仰は礼拝だけで完結せず、学業、政治、余暇、訪問を通して隣人の尊厳に応えるものだと示した一般信徒です。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
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最終更新日:
Holy See — Canonization of Pier Giorgio Frassati and Carlo Acutis
Holy See — Canonization Liturgy Booklet
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