生きた時代と背景
二世紀末、北アフリカのカルタゴ近郊に比較的裕福な家庭の娘として生まれたと考えられます。二十二歳ほどで幼い乳児を持ち、洗礼の準備をしていたとき、フェリチタス、レウォカトゥス、サトゥルニヌス、セクンドゥルスらと逮捕されました。ローマ帝国の宗教政策が地域でどのように運用されたかには議論がありますが、信仰放棄の儀礼を拒んだことが訴追の中心でした。
聖人を知る・3月7日
三世紀初頭のカルタゴで洗礼準備中に逮捕され、幼い子を持つ若い女性として獄中記を残した殉教者です。フェリチタスらとともに記憶されます。
祈りと言葉
家族への愛と自らの良心の間で苦しみながら、獄中から自分の経験を書き残した北アフリカの若い女性です。
まず、ここから
全4編
二世紀末、北アフリカのカルタゴ近郊に比較的裕福な家庭の娘として生まれたと考えられます。二十二歳ほどで幼い乳児を持ち、洗礼の準備をしていたとき、フェリチタス、レウォカトゥス、サトゥルニヌス、セクンドゥルスらと逮捕されました。ローマ帝国の宗教政策が地域でどのように運用されたかには議論がありますが、信仰放棄の儀礼を拒んだことが訴追の中心でした。
『ペルペトゥアとフェリチタスの受難』には、一人称で記された獄中生活、父との対話、乳児への心配、幻視が含まれます。現存する初期キリスト教文書のなかで、女性自身の声を伝える稀有な資料です。ただし最終部分は別の編集者によるもので、すべてを本人の日記と断定できません。父を単なる信仰の敵にせず、娘と孫を救おうとした家族の恐れも読み取ります。
203年3月7日、カルタゴの円形闘技場で仲間とともに殺害されました。公開処刑は帝国権力が身体を見せしめに使った暴力です。母が子を捨てて死を選んだと安易に称賛せず、拘禁によって家族を引き離し、良心と親子関係を対立させた制度の責任を明確にします。乳児は家族へ引き取られたと本文は伝えますが、その後の生涯は分かりません。
ペルペトゥアとフェリチタスは古代から同じ日に記念され、ローマ典文にも名が残ります。二人を一組の象徴に閉じ込めず、自由身分で教育を受けたペルペトゥアと、奴隷身分で妊娠していたフェリチタスの異なる立場を区別します。殉教は死への憧れではなく、国家が信仰と身体を支配しようとした状況での証言として紹介します。
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人物像と、今へのつながり
伝承を含む可能性のある事項は、出典の性格と合わせて紹介しています。
物語の舞台
ローマ帝国(北アフリカ)
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テーマから読む文書:家族
家族・結婚について理解するための公式文書です。本文を転載せず、ローマ教皇庁の公式ページへ案内します。
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最終更新日:
Holy See — Pontifical Academy Cult of Martyrs: Perpetua and Felicity
Vatican News — Saints Perpetua and Felicity
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