Saint & spirituality
聖パウロ丁夏祥とは
司祭がほとんど不在だった朝鮮で一般信徒として共同体を支え、教皇庁へ司牧者の派遣を求めたカテキスタです。
この人物は誰か
司祭がほとんど不在だった朝鮮で一般信徒として共同体を支え、教皇庁へ司牧者の派遣を求めたカテキスタです。
生きた時代と背景
1795年、朝鮮の信徒家庭に生まれました。父アウグスチノ丁若鍾と兄も1801年の迫害で殺害され、母と姉とともに困難な生活を送りました。朝鮮のカトリック教会は、外国人宣教師が到着する前から知識人と一般信徒が書物を読み、洗礼と共同体を広げた点に特徴があります。パウロもこの信徒主体の教会で学びました。
人生の転機
成人後、カテキスタとして共同体を訪ね、司祭を朝鮮へ迎えるため何度も北京へ往復したと伝えられます。教皇へ提出する請願を作り、信教の自由と朝鮮教会の必要を説明しました。1836年以降、外国人司祭が密かに入国すると通訳や連絡を担い、神学生として司祭養成も受け始めましたが、叙階には至りませんでした。
主な活動
1839年の迫害で逮捕され、信仰について書いた弁明書を官吏へ提出しました。同年9月22日、ソウル近郊で殺害されました。処刑を望んだ人物として単純化せず、共同体が秘跡と教育を得られる制度的な道を長く探した一般信徒として理解します。国家の強制を批判すると同時に、当時の政治と社会を朝鮮文化全体への非難に広げません。
信仰上の特徴
一般信徒が始めた朝鮮教会で、教育、連絡、請願を担い、司牧体制を築こうとしたカテキスタです。
教会史上の意味と後世への影響
1984年、金大建アンドレアら韓国殉教者とともに列聖され、9月20日に共同で記念されます。代表者名の後ろに隠れがちな女性や無名の信徒も含め、韓国教会は一般信徒の学びと組織によって育ちました。パウロの役割は司祭の代用品ではなく、教会の必要を言葉にし、国境を越えて交渉した固有の一般信徒職です。
年表
- — 誕生
- — 死去
ゆかりの場所
- 朝鮮(朝鮮)
守護
確認できる資料を精査中です。推測では掲載しません。
参照資料
人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。