生きた時代と背景
1842年、メルボルンでスコットランド移民家庭の八人きょうだいの長女として生まれました。家計が不安定だったため十代から働き、家族を支えました。家庭教師として南オーストラリアのペノラへ行き、農村部で貧しい子どもが教育を受けられない現実に出会いました。司祭ジュリアン・テニソン・ウッズと協働し、1866年に無料学校を始めました。
聖人を知る・8月8日
農村の貧しい子どものため無料学校を広げ、中央集権的な修道会を築いたオーストラリアの女性です。教会内の対立と虐待通報の歴史も扱います。
祈りと言葉
農村教育を担う女性たちの自律的な組織を築き、教会内の対立のなかでも子どもの教育と安全を求めた人物です。
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全4編
1842年、メルボルンでスコットランド移民家庭の八人きょうだいの長女として生まれました。家計が不安定だったため十代から働き、家族を支えました。家庭教師として南オーストラリアのペノラへ行き、農村部で貧しい子どもが教育を受けられない現実に出会いました。司祭ジュリアン・テニソン・ウッズと協働し、1866年に無料学校を始めました。
翌年、聖ヨセフ聖心修道女会を設立し、必要のある場所へ移動できる中央組織を整えました。会員は小さな町や辺境地域で学校、孤児や困窮家庭への支援を担いました。植民地社会では先住民の土地収奪と差別が続いており、「開拓地の教育」を無条件に進歩と呼びません。先住民の教育権、文化、家族とのつながりから施設史を検証する必要があります。
会の統治をめぐって司教や聖職者と対立し、1871年に一時破門されましたが、命令は後に撤回されました。同時期、会員が聖職者による子どもへの性的不正を報告したことが対立の一因だったと会の歴史資料は説明します。詳細な因果関係には研究が必要ですが、通報者への報復を許さず、被害者の安全と独立調査を優先する現代の原則へつなげます。
1909年8月8日にシドニーで亡くなり、2010年にオーストラリア出身者として初めて列聖されました。彼女を権威へ反抗した英雄、または従順の模範のどちらかに単純化しません。教育の現場を知る女性たちが意思決定できる組織を求め、対立のなかでも学校を続けた人物です。今日の継承には、子どもの保護と説明責任が欠かせません。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
物語の舞台
オーストラリア
教会の資料から読む
確かめながら読む
最終更新日:
Holy See — 2010 Canonization Liturgy Booklet
Holy See — Decretal Letter for Mary MacKillop
人物伝は資料をもとに編集した、独立・非公式の紹介です。教会の公式列聖資料そのものではありません。
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