生きた時代と背景
1584年ごろ尾張に生まれたと伝えられ、京都でフランシスコ会の活動に関わる家族・共同体のなかにいました。日本名や幼少期の詳しい記録には限りがあります。二十六人の中には叔父にあたるパウロ茨木、レオン烏丸もいました。外国人宣教師だけでなく、日本人の一般信徒、家族、子どもが共同体を担っていた時代です。
聖人を知る・2月6日
豊臣政権によるキリスト教迫害のなか、十二歳で長崎・西坂において殺害された日本二十六聖人の一人です。
祈りと言葉
十二歳で国家迫害により命を奪われた日本の子どもであり、その記憶は未成年者を守る大人と制度の責任を問い続けます。
まず、ここから
全4編
1584年ごろ尾張に生まれたと伝えられ、京都でフランシスコ会の活動に関わる家族・共同体のなかにいました。日本名や幼少期の詳しい記録には限りがあります。二十六人の中には叔父にあたるパウロ茨木、レオン烏丸もいました。外国人宣教師だけでなく、日本人の一般信徒、家族、子どもが共同体を担っていた時代です。
1596年、豊臣秀吉の命令によって京都・大阪で宣教師と信徒が捕らえられました。ルドビコも十二歳で拘束され、長崎まで冬の道を移送されます。信仰を選んだ勇気を語る場合も、子どもが逮捕と移送から保護されなかった国家暴力を曖昧にしません。子どもの死を大人の信仰教育の教材として美化しない配慮が必要です。
1597年2月5日、長崎の西坂で他の二十五人とともに処刑されました。処刑方法や最期の会話について伝承がありますが、子どもに耐久や無恐怖を期待する表現は避けます。逃げる、泣く、助けを求めることは信仰の弱さではありません。責任は命令し、拘束し、殺害した権力と実行者にあります。
1862年、仲間とともに列聖され、日本では2月5日、ローマ一般暦では2月6日に二十六聖人を記念します。このデータの記念日は検索の一貫性から一般暦の2月6日としています。ルドビコを集団の最年少者という数字だけにせず、固有の名前を持つ子どもとして記憶し、現在の教会における子どもの保護と大人の説明責任へつなげます。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
子ども・日本
物語の舞台
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