生きた時代と背景
1858年、フィラデルフィアの裕福な銀行家家庭に生まれました。家族は自宅で困窮する人を支援し、財産は分かち合うために預けられたものだと教えました。米国西部を旅した際、先住民族が土地を奪われ、教育や生活条件を損なわれている現実に触れ、学校や宣教師への資金援助を始めました。富を持つ側の善意だけで、植民と差別の構造を解決できるわけではありません。
聖人を知る・3月3日
相続財産を用いて、黒人と先住民族の教育を支援し、人種隔離へ反対した米国の修道会創立者です。支援する側の権力も検証します。
祈りと言葉
財産と組織力を人種差別に抗する教育へ用いた女性です。その遺産は先住民族の声からも検証される必要があります。
まず、ここから
全4編
1858年、フィラデルフィアの裕福な銀行家家庭に生まれました。家族は自宅で困窮する人を支援し、財産は分かち合うために預けられたものだと教えました。米国西部を旅した際、先住民族が土地を奪われ、教育や生活条件を損なわれている現実に触れ、学校や宣教師への資金援助を始めました。富を持つ側の善意だけで、植民と差別の構造を解決できるわけではありません。
教皇レオ十三世へ宣教師の派遣を求めたところ、自身が宣教師になるよう促され、1891年に聖体修道女会を創立しました。黒人と先住民族の子どものため各地に学校を支援し、1925年には黒人学生のためルイジアナ州にザビエル大学を設立しました。人種隔離と暴力的な妨害のなかで教育機会を広げたことは重要な働きです。
一方、先住民族の寄宿学校には、子どもを家族から離し、言語と文化を抑圧し、虐待を生んだ歴史があります。彼女と会の施設も、資金援助者の意図だけで評価せず、学校ごとの運営、先住民族の証言、記録を検証する必要があります。「教育を与えた」という表現で、当事者が既に持っていた知識と文化を低く扱いません。
晩年の十八年間は病のため活動を制限され、祈りの生活を送り、1955年3月3日に亡くなりました。2000年に列聖されました。財産を手放した個人の寛大さと同時に、富が生まれた社会構造、白人修道者が持った権力、黒人・先住民族自身の教育運動を記憶します。彼女の遺産は、施設が当事者へ説明責任を負い続けることで受け継がれます。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
物語の舞台
アメリカ合衆国
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最終更新日:
Holy See — Katharine Drexel: Biography
Holy See — Canonization Homily including Katharine Drexel
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