生きた時代と背景
1881年、イタリア北部ソット・イル・モンテの小作農家に十三人きょうだいの一人として生まれました。本名はアンジェロ・ジュゼッペ・ロンカリです。1904年に司祭となり、ベルガモ司教の秘書、神学校教師、第一次世界大戦中の衛生兵と従軍司祭を務めました。歴史研究と日々の霊的日記を続け、後に『魂の日記』として知られる記録を残しました。
聖人を知る・10月11日
外交官、司教を経て教皇となり、第二バチカン公会議を招集した人物です。対話、平和、司牧的な刷新を教会の課題として示しました。
祈りと言葉
長い外交と司牧の経験を土台に、教会を対話と刷新へ開く公会議を始めた教皇です。
まず、ここから
全4編
1881年、イタリア北部ソット・イル・モンテの小作農家に十三人きょうだいの一人として生まれました。本名はアンジェロ・ジュゼッペ・ロンカリです。1904年に司祭となり、ベルガモ司教の秘書、神学校教師、第一次世界大戦中の衛生兵と従軍司祭を務めました。歴史研究と日々の霊的日記を続け、後に『魂の日記』として知られる記録を残しました。
1925年からブルガリア、トルコ、ギリシャで教皇外交に携わり、第二次世界大戦中にはユダヤ人の避難を助けるため書類や外交経路を用いた働きが記録されています。戦後は駐フランス教皇大使、ヴェネツィア総大司教を務めました。異なる教派、宗教、政治的立場の人と会う経験は、後の対話を重視する司牧へつながりました。
1958年、七十六歳で教皇に選ばれ、ヨハネ二十三世を名乗りました。1959年に公会議の招集を表明し、1962年10月11日に第二バチカン公会議を開会しました。教会が福音を変えるのではなく、時代の人へ理解できる形で伝え、他のキリスト者や世界と対話する道を求めました。回勅『地上の平和』では、人権、軍縮、国際協力をすべての善意ある人へ呼びかけました。
1963年6月3日に亡くなり、公会議の完成は後継者と参加者へ託されました。2000年に列福、2014年に列聖されました。記念日は命日ではなく公会議開会日の10月11日です。「善良な教皇」という親しみやすい像だけでなく、長年の外交、歴史研究、教区司牧に根ざして大きな制度的決断をした人物として理解します。公会議の成果も一人の功績ではなく、世界中の司教と参与者の共同作業です。
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現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
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Holy See — Biographical Profile of John XXIII
Holy See — Biography of Pope John XXIII
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