Saint & spirituality
聖ヨハネ・クリゾストモとは
「黄金の口」と呼ばれた説教者。聖書を日常生活へ結び、富と権力の乱用を批判したため、二度の追放の末に亡くなった司教です。
この人物は誰か
「黄金の口」と呼ばれた説教者。聖書を日常生活へ結び、富と権力の乱用を批判したため、二度の追放の末に亡くなった司教です。
生きた時代と背景
349年ごろ、シリアのアンティオキアに生まれました。幼くして父を亡くし、母アントゥーサに育てられ、著名な修辞学者リバニオスから教育を受けます。洗礼後は聖書研究と隠修生活へ進みましたが、厳しい修行で健康を損ない市へ戻りました。助祭、司祭となり、アンティオキアで約11年間、聖書を人々の日常へ結びつける説教を行います。
人生の転機
397年、本人の意向を超えて帝都コンスタンティノープルの司教に選ばれました。司教館のぜいたくを改め、その資源を病院や貧しい人への援助へ回し、聖職者と宮廷の華美を批判します。家庭を「小さな教会」と捉え、洗礼を受けたすべての人が社会と教会の働きに責任を持つと説きました。
主な活動
率直な批判は宮廷や一部の司教との激しい対立を招き、403年に一度、404年に再び追放されます。遠隔地への過酷な移送の途中、407年に亡くなりました。残された多数の説教と書簡は、聖書解釈、典礼、家族、貧困、社会的責任について、古代の都市生活の現実に即して語っています。
信仰上の特徴
聖書を人々の暮らしへ届け、権力者にも遠慮せず、教会の富を困っている人へ向けようとした説教者です。
教会史上の意味と後世への影響
雄弁さだけを称賛すると、言葉が弱い立場の人を守る行動と結ばれていた点を失います。一方、古代社会の制約や、現代にはそのまま受け入れられない表現もあります。個々の説教を歴史的文脈から切り離して権威づけに使わず、福音と社会生活を結ぶ彼の中心的な問いを受け取ります。
ゆかりの場所
- アンティオキア(ローマ帝国(シリア))
守護
確認できる資料を精査中です。推測では掲載しません。
参照資料
人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。