生きた時代と背景
1098年、ライン地方ベルマースハイムの貴族家庭に生まれました。幼いころから幻視を経験したと記し、ディジボーデンベルクの女子隠修共同体でユッタのもとに育てられ、ベネディクト会の生活を学びます。ユッタの死後、1136年ごろ共同体の指導者に選ばれました。幻視を誇示せず、その由来を識別するため霊的指導者やクレルヴォーのベルナルドに相談しました。
聖人を知る・9月17日
修道院共同体を導き、聖書に根ざす幻視、音楽、自然研究、書簡を通して教会の刷新を呼びかけた修道女・教会博士です。
祈りと言葉
多様な才能を個人的な名声に閉じず、共同体を育て、教会の弱さへ率直に語り、創造全体を賛美として受け取った女性です。
まず、ここから
全4編
1098年、ライン地方ベルマースハイムの貴族家庭に生まれました。幼いころから幻視を経験したと記し、ディジボーデンベルクの女子隠修共同体でユッタのもとに育てられ、ベネディクト会の生活を学びます。ユッタの死後、1136年ごろ共同体の指導者に選ばれました。幻視を誇示せず、その由来を識別するため霊的指導者やクレルヴォーのベルナルドに相談しました。
1147年ごろ、トリーアの教会会議で教皇エウゲニウス三世が彼女の記録の一部を読み、執筆を続けるよう認めました。女性共同体をルーペルツベルクへ移す際には、男性修道院からの自立をめぐって粘り強く交渉します。『道を知れ』『生命の功徳の書』『神の業の書』で、聖書、創造、人間、救いを壮大な象徴によって考察しました。
典礼歌を作詞・作曲し、医学や自然についての知識を集め、修道者、司教、教皇、皇帝へ多くの手紙を書きました。高齢になってからも各地を旅して説教し、聖職者の乱れと教会の分裂を批判します。1179年9月17日、ルーペルツベルクで亡くなりました。2012年、教皇ベネディクト十六世により教会博士と宣言されました。
ヒルデガルトを現代医学の万能な権威や、教会から独立した神秘思想家として扱うのは歴史的に不正確です。自然に関する記述は12世紀の知識と写本伝承のなかで読み、医療助言へ直接転用しません。幻視も聖書、典礼、教父の伝統と共同体的な識別のなかで表現されたものとして紹介します。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
幻視だけへ還元せず、共同体運営、著述、音楽、自然理解が交差する中世女性の活動として考えます。
物語の舞台
神聖ローマ帝国
教会の資料から読む
確かめながら読む
最終更新日:
Holy See — General Audience: Saint Hildegard of Bingen (1)
Holy See — Apostolic Letter Proclaiming Hildegard a Doctor of the Church
人物伝は資料をもとに編集した、独立・非公式の紹介です。教会の公式列聖資料そのものではありません。
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