生きた時代と背景
1506年、現在のスペイン北部にあたるナバラのハビエル城で生まれました。パリ大学で学び、同室となったロヨラのイグナチオとの長い対話を経て、1534年にモンマルトルで仲間たちと誓願を立てます。1540年にイエズス会が認可されると、ポルトガル王の要請を受け、教皇の派遣を担う宣教者としてアジアへ向かいました。
聖人を知る・12月3日
イグナチオの仲間としてイエズス会創立に加わり、インドから東南アジア、日本へ赴いた宣教者です。異文化との出会いから学び続けました。
祈りと言葉
遠くへ行く勇気だけでなく、異文化の前で自分の準備不足を認め、次の宣教者が言語と学問を備えるよう求めた人物です。
まず、ここから
全4編
1506年、現在のスペイン北部にあたるナバラのハビエル城で生まれました。パリ大学で学び、同室となったロヨラのイグナチオとの長い対話を経て、1534年にモンマルトルで仲間たちと誓願を立てます。1540年にイエズス会が認可されると、ポルトガル王の要請を受け、教皇の派遣を担う宣教者としてアジアへ向かいました。
1542年にゴアへ到着し、インド南部、マラッカ、モルッカ諸島などを旅しました。子ども、病人、貧しい人を訪ねながら教理を伝えましたが、初期の方法には言語理解の不足やヨーロッパ側の制度への依存もありました。現地の人々との出会いを通して、言語、教育、文化を学ぶ必要を強く認識するようになります。
鹿児島出身のヤジロウらとの出会いを経て、1549年に鹿児島へ上陸しました。約二年余り、鹿児島、平戸、山口、豊後などで活動し、日本の知的伝統を尊重して対話するには十分な語学と学識ある宣教者が必要だと報告しました。日本宣教のため中国との接触も重要だと考え、1552年、中国本土への入国を待つ上川島で亡くなりました。
「一人で日本へキリスト教をもたらした」と描けば、ヤジロウをはじめとする通訳、現地の信徒、同行者の主体性を消してしまいます。また宣教はポルトガルの海上進出と無関係ではありません。本人の熱意を尊重しつつ、植民地権力、文化理解の限界、その後の日本人共同体の働きを含む歴史として紹介します。
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現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
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