生きた時代と背景
1860年ごろ、現在のウガンダにあたるブガンダ王国で生まれ、国王ムワンガ二世の宮廷に仕えました。カトリックの宣教が始まって間もない時期に教えを学び、1885年11月15日に洗礼を受けます。宮廷の若い従者をまとめる立場になり、信仰を学ぶ仲間を励ましました。彼らを外国人宣教師の受け身の弟子ではなく、自ら選び、教え合ったアフリカ人信徒として捉えます。
聖人を知る・6月3日
ブガンダ王国の宮廷で若者たちを守り、信仰を支え、1886年に仲間とともに国家権力によって殺害された一般信徒です。
祈りと言葉
権力の支配と性的強要に直面した宮廷で、年下の仲間を守り、信仰共同体を支えた若い一般信徒です。
まず、ここから
全4編
1860年ごろ、現在のウガンダにあたるブガンダ王国で生まれ、国王ムワンガ二世の宮廷に仕えました。カトリックの宣教が始まって間もない時期に教えを学び、1885年11月15日に洗礼を受けます。宮廷の若い従者をまとめる立場になり、信仰を学ぶ仲間を励ましました。彼らを外国人宣教師の受け身の弟子ではなく、自ら選び、教え合ったアフリカ人信徒として捉えます。
宮廷では政治的緊張に加え、国王が若い従者へ性的服従を求める権力濫用がありました。カロロは若者たちを守り、拒否する力を支えたと列福資料は伝えます。性的被害を『純潔の試練』と美化せず、同意できない立場の未成年者・若者に責任はありません。王個人の欲望だけでなく、拒否すれば命を奪われ得る宮廷制度と権力差を明記します。
1886年、キリスト者であることと国王の命令への服従をめぐり仲間と死刑を宣告されました。処刑へ向かう前、まだ洗礼を受けていなかったキジトらへ洗礼を授けたと伝えられます。6月3日にナムゴンゴで殺害されました。方法の残酷さを詳しく再現せず、国家権力が若者の身体、良心、信仰を支配しようとした加害の責任を中心に置きます。
1920年に仲間と列福され、1964年に二十二人のウガンダ殉教者として列聖されました。6月3日に共同で記念されます。殉教を植民地支配の正当化に使わず、当時の宣教と欧州勢力の接近も歴史背景として検証します。カロロの中心的な姿は、危険な権力に近い場所で、年下の仲間が孤立しないよう支えた若い一般信徒にあります。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
現在の生活に引き寄せすぎず、その人自身の時代から考えます。
アフリカの若者
物語の舞台
ウガンダ
教会の資料から読む
確かめながら読む
最終更新日:
Holy See — In Africam on the Uganda Martyrs
Holy See — Canonization of Charles Lwanga and Companions
人物伝は資料をもとに編集した、独立・非公式の紹介です。教会の公式列聖資料そのものではありません。
現代の翻訳・校訂本文、画像、書影は、オンラインで読めることを転載許可とは扱いません。