Saint & spirituality
シエナの聖カタリナとは
家庭に暮らすドミニコ会第三会員として病人と貧しい人に仕え、教会と都市の和解を求めて手紙と行動を重ねた教会博士です。
この人物は誰か
家庭に暮らすドミニコ会第三会員として病人と貧しい人に仕え、教会と都市の和解を求めて手紙と行動を重ねた教会博士です。
生きた時代と背景
1347年、イタリアのシエナで染物職人の大家族に生まれました。幼いころから祈りへ強く引かれ、家族が結婚を望むなかでも神に献げた生活を選びます。16歳ごろ、ドミニコ会第三会の女性たち「マンテラーテ」に加わりました。修道院へ入るのではなく家庭に住み、長い祈りの期間を経て、病人、貧しい人、囚人への奉仕へ出ていきます。
人生の転機
ペストが広がる時期にも病人を看護し、身分の異なる多くの人が彼女に助言と祈りを求めました。読み書きの専門教育を受けてはいませんでしたが、書記の助けを得て、教皇、君主、聖職者、一般信徒へ数百通の手紙を送りました。都市間の和平、聖職者の改革、教皇のローマ帰還を求め、相手の地位にかかわらず率直に語りました。
主な活動
1376年にはアヴィニョンで教皇グレゴリオ十一世に会い、ローマへ戻るよう働きかけました。後の教会大分裂ではウルバヌス六世を支持し、分裂に苦しむ教会のためローマで祈りと助言を続け、1380年、33歳で亡くなります。『対話』、書簡、祈りが残され、1970年に教会博士、1999年にヨーロッパの共同保護聖人とされました。
信仰上の特徴
深い祈りを私的な安心に閉じず、病人への奉仕、対立する人々の和解、教会への率直な助言へつなげた女性です。
教会史上の意味と後世への影響
カタリナを教皇を一人で動かした政治的英雄として描くと、複数の要因があった歴史を単純化します。彼女の公共的行動は、病者の身体に触れる奉仕、教会への愛、長い祈りから生まれました。一方、厳しい禁欲を現代の読者へそのまま推奨することも避け、時代背景と霊的同伴の必要を踏まえて読みます。
年表
- — 誕生
- — 死去
ゆかりの場所
- シエナ(イタリア)
守護
ヨーロッパ・イタリア
参照資料
人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。
Holy See — General Audience: Saint Catherine of Siena ↗
Holy See — Proclamation of Saint Catherine as Doctor of the Church ↗