生きた時代と背景
1347年、イタリアのシエナで染物職人の大家族に生まれました。幼いころから祈りへ強く引かれ、家族が結婚を望むなかでも神に献げた生活を選びます。16歳ごろ、ドミニコ会第三会の女性たち「マンテラーテ」に加わりました。修道院へ入るのではなく家庭に住み、長い祈りの期間を経て、病人、貧しい人、囚人への奉仕へ出ていきます。
聖人を知る・4月29日
家庭に暮らすドミニコ会第三会員として病人と貧しい人に仕え、教会と都市の和解を求めて手紙と行動を重ねた教会博士です。
祈りと言葉
深い祈りを私的な安心に閉じず、病人への奉仕、対立する人々の和解、教会への率直な助言へつなげた女性です。
まず、ここから
全4編
1347年、イタリアのシエナで染物職人の大家族に生まれました。幼いころから祈りへ強く引かれ、家族が結婚を望むなかでも神に献げた生活を選びます。16歳ごろ、ドミニコ会第三会の女性たち「マンテラーテ」に加わりました。修道院へ入るのではなく家庭に住み、長い祈りの期間を経て、病人、貧しい人、囚人への奉仕へ出ていきます。
ペストが広がる時期にも病人を看護し、身分の異なる多くの人が彼女に助言と祈りを求めました。読み書きの専門教育を受けてはいませんでしたが、書記の助けを得て、教皇、君主、聖職者、一般信徒へ数百通の手紙を送りました。都市間の和平、聖職者の改革、教皇のローマ帰還を求め、相手の地位にかかわらず率直に語りました。
1376年にはアヴィニョンで教皇グレゴリオ十一世に会い、ローマへ戻るよう働きかけました。後の教会大分裂ではウルバヌス六世を支持し、分裂に苦しむ教会のためローマで祈りと助言を続け、1380年、33歳で亡くなります。『対話』、書簡、祈りが残され、1970年に教会博士、1999年にヨーロッパの共同保護聖人とされました。
カタリナを教皇を一人で動かした政治的英雄として描くと、複数の要因があった歴史を単純化します。彼女の公共的行動は、病者の身体に触れる奉仕、教会への愛、長い祈りから生まれました。一方、厳しい禁欲を現代の読者へそのまま推奨することも避け、時代背景と霊的同伴の必要を踏まえて読みます。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
神秘家という呼称だけでなく、書簡を通じて教会と政治へ働きかけた女性の公共的発言として読みます。
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Holy See — General Audience: Saint Catherine of Siena
Holy See — Proclamation of Saint Catherine as Doctor of the Church
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