Saint & spirituality

聖バルトロ・ロンゴとは

信仰から離れた学生時代を経て回心し、妻マリアンナとともにポンペイの聖地、学校、受刑者の子どものための施設を築いた法律家です。

この人物は誰か

信仰から離れた学生時代を経て回心し、妻マリアンナとともにポンペイの聖地、学校、受刑者の子どものための施設を築いた法律家です。

生きた時代と背景

1841年、南イタリアのラティアーノに生まれ、ナポリ大学で法律を学びました。学生時代に教会から離れ、当時流行した心霊主義へ傾きましたが、友人とドミニコ会司祭の助けを受け、1865年ごろカトリック信仰へ戻りました。回心を精神的不調への即効薬として一般化せず、本人が人間関係と時間を通じて生活を立て直した過程として理解します。

人生の転機

ロザリオのドミニコ会第三会員となり、1872年、マリアンナ・デ・フスコ伯爵夫人の土地管理のためポンペイ渓谷へ行きました。農民への教育と祈りの集まりを始め、1876年からロザリオの聖母の聖堂を建設しました。1885年にマリアンナと結婚し、二人は事業と財産を共同で支えました。彼女を資金提供者や妻という背景に退けないことが重要です。

主な活動

聖堂の周囲に、少女のための孤児院、受刑者の子どものための施設、学校、印刷所、職業訓練などを整えました。当時、受刑者の子どもまで親の犯罪性を受け継ぐという偏見があり、教育と安定した環境によってその見方へ反論しました。一方、施設で暮らした子ども自身の声や近代施設養護の権力差も、現代の福祉史から検証する余地があります。

信仰上の特徴

妻と地域の人々と協働し、ロザリオの祈りを教育と福祉の仕組みへ結びつけた法律家・一般信徒です。

教会史上の意味と後世への影響

1926年10月5日に亡くなり、1980年に列福、2025年10月19日に列聖されました。ポンペイの都市と巡礼地の形成を彼一人の奇跡へ集約せず、妻、修道者、労働者、地域住民の協力を含めます。祈りと社会事業を二つの別の活動にせず、偏見を受ける家庭へ教育機会を作る責任へ結びつけた既婚一般信徒として紹介します。

年表

  1. 誕生
  2. 死去

ゆかりの場所

  • ラティアーノ(イタリア)

守護

確認できる資料を精査中です。推測では掲載しません。

参照資料

人物伝は以下の資料をもとに編集しています。教会の公式列聖資料そのものではありません。

Holy See — 2025 Canonization Liturgy Booklet

Holy See — Beatification of Bartolo Longo

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