生きた時代と背景
清代中国で兵士として働き、1815年に処刑されたデュフレス司教を護送する任務に就いたと教皇庁資料は伝えます。捕らわれた司教の態度に関心を持ち、教理を学んで洗礼を受け、アウグスチノの名を得ました。出生年や初期の生活について確実な情報は限られます。回心を一度の感動だけでなく、学びと共同体への参加を含む過程として理解します。
聖人を知る・7月9日
司教を護送する兵士としてキリスト者と出会い、洗礼後に中国人司祭となり、迫害下の共同体へ仕えた人物です。
祈りと言葉
兵士から洗礼と養成を経て中国人司祭となり、外国人中心ではない地域教会を担った人物です。
まず、ここから
全4編
清代中国で兵士として働き、1815年に処刑されたデュフレス司教を護送する任務に就いたと教皇庁資料は伝えます。捕らわれた司教の態度に関心を持ち、教理を学んで洗礼を受け、アウグスチノの名を得ました。出生年や初期の生活について確実な情報は限られます。回心を一度の感動だけでなく、学びと共同体への参加を含む過程として理解します。
その後、養成を受けて教区司祭となり、中国人信徒へ司牧しました。当時の中国宣教は、欧州勢力の進出と後の帝国主義へつながる複雑な国際関係のなかにありました。中国人司祭の存在は教会が外国人だけで構成されなかったことを示しますが、宣教史から文化的圧力と政治的緊張を消すことはできません。
1815年、四川での迫害のなか逮捕され、信仰を放棄するよう迫られ、獄中で受けた暴力のため亡くなったとされます。刑罰の残酷さを詳述せず、良心を国家が強制的に変えようとしたことを問題の中心に置きます。また中国社会全体を「迫害者」と呼ばず、時期、地域、官吏の政策を具体的に区別します。
2000年、119人の中国殉教者とともに列聖され、7月9日に共同で記念されます。この集団には中国人の司祭、一般信徒、女性、子どもと外国人宣教師が含まれます。代表者の趙栄だけに歴史を集約せず、名を冠した人物として共同体全体へ入口を開きます。現代の中国人信徒を政治的な象徴へ利用しない慎重さも必要です。
出来事から読む
人物像と、今へのつながり
伝承を含む可能性のある事項は、出典の性格と合わせて紹介しています。
物語の舞台
中国
教会の資料から読む
確かめながら読む
最終更新日:
Holy See — Augustine Zhao Rong and Companions: Biography
Holy See — Canonization of the Martyrs in China
人物伝は資料をもとに編集した、独立・非公式の紹介です。教会の公式列聖資料そのものではありません。
現代の翻訳・校訂本文、画像、書影は、オンラインで読めることを転載許可とは扱いません。